小療理屋~こんだ~

2018年12月、25歳で大腸がんステージⅣと宣告されました。料理が好きなのでブログ名は小料理屋とかけました(笑)。前向きな闘病記にしたいです!

記録:癌の始まり

こんにちは。店主の嫁まりえです。

少しずつ記憶と記録を整理し始めようかな。

 

”癌かもしれない”

私が彼にそう告げられたのは、仕事からの帰宅中、電話で。LINEで電話で話したいことがあるから、帰ったら教えてーと連絡が入っていた。

帰りの道中を歩きながら、どうしたー?と急かしたら、電話できるようになったら教えてとの返事。物事を直接的に話すけんじらしくもなくごまかすような返答。嫌な予感がした。電車を降りてすぐに電話をかけた。

 

彼自身、最近微熱があるのと下血があったことでクリニックに行っていたことも知っていた。少し前に癌マーカーをつけてもらって、慎重な奴だな。くらいに思っていた。今回また下血が出たと聞いて変だなとは思ったものの、まさか25歳の男性が、まさか自分の彼がそんなことになるなんて思ってもみなかった。

 

まだその時は、癌センターでなく、刈谷の病院だったのではっきりとしたことはわからない。ステージもはっきり決まってはいなかったです。

 

電話先で不安そうな声を聞いて、今日行けんくってごめんな。ついててやれんくってごめんなって。それこそ次の日たまたま、タイミングを見計らったように有給をとっていたので休みだった。明日すぐ行くから。って伝えた。

 

その日は誰にもけんじが癌かもしれないって言えなかった。口にしたら本当になってしまう気がして。

 

電話が終わった後、私が思ったことは2つ。

 

1、とりあえず情報を集めよう

私ができることは正確な情報を集めることだ。と。

ドラマであるような漠然とした情報しか知らないと、流されるままの治療になってしまうし、自ら選択できるようにけんじが選べる選択肢を増やそうと。私も治療が最善であるかを判断したかったのもある。

 

2、ここまできつい人生か

私の感情面ですね。私を知っている人からするとなかなか人を切り捨ててきた恋愛をしてきたと思います。最後に羽を収めてぬくぬくする場所がようやく見つかったと思ったのに、、、これが私の人生か。と

私のせいだ。彼を私の運の悪さに巻き込んでしまった。ごめんなさい。そう思いました。

 

別れるっていう考えは全く思いつかなくて、むしろ私も腹を決める時だな。と覚悟しました。

あと、毎日を大切にしようと決めました。

 

「癌、婚約者」で検索すると別れる別れないの話しか出てこず、「癌、家族」で検索すると第二の患者と出てくる。そんなことよりも、病院とかで”家族でもない彼女”が彼にどのように関与できるか調べたかった。今となっては、そりゃ出てこんよなー。とか思いますけどね。

私が他の人のブログを読み始めるきっかけはこれです。闘っている人がどうやって闘っているのか、具体的な生活の仕方を参考にしたかったから。

 

 

 

次の日、面会時間と同時に病院へ。一刻も早くあいつの不安を一緒に受け止めてやらねばと、ひとりにさせたくなかったんです。

病室に入ってベットの上で飄々と過ごす奴を見て、やっぱこいつやべーなって思いました笑

本当にいつも通りで、もっと取り乱して泣きついてきてもいいのに。

”おはよう。きてくれてありがとね”って。

不安そうな顔もしながら、一人じゃなくてほっとしたのか少し目元が緩んだのを見て私もほっとしました。

 

二人で手を握りながら泣いて泣いて泣きました。

そのあとどうなるかわからないし、今どの状況かもわからない。

”わからない”ってとても不安なんです。

 

この時、病気については現状わかることを整理して、ステージの話とか無駄な励ましとかは一切しなかったです。わからないことが不安だね。って考えてもしょうがないことは決まってから考えるか。まー考えちゃうんだけどね。って。

それと、賢治から別れ話を切り出される前に?(別れるつもりさらさらなかっただろうけど笑)、私、別れるつもりないから。頼れるとこは頼りなさい。助けるから助けてな。って伝えました。

あとは、いるものあるー?やら、お家の方で処理しなきゃいけないもの(主に生ゴミとか)のお話など、日常でやらなければならないことについて。

 

その日は泣いてハグして話して泣いて笑って、面会時間の最後までずっと一緒にいた。

帰る前に、私がしてたシュシュを手首につけてやった。

 

帰り道、やっぱり耐えられなくて電車で嗚咽を漏らしそうになりながら泣いてたから、幼なじみの家に一旦逃げ込んだ。どんな状況でも、どんな話でも聞いてくれる存在はありがたかった。

気丈に振る舞ってそばにいるのは違うなって思ったから、けんじに、ちょっとやばかったから幼なじみに頼ったわー。って私の弱さも伝えた。まりえを助けてくれる人が近くにおってよかった。って言ってた。

 

これが転院するまでのお話。

一番初めの”何もわからない時”の行動です。

 

私自身、けんじに会う前に自分の気持ちを固めたことでやることが決まっていました。

多分、ここに至るまでに悩む人、苦しむ人はいっぱいいると思います。それもやっぱり仕方ないことです。けど、自分の気持ちを正直に見つめないことには、選択もできない。

怖い、不安、悲しい、何で賢治が、全ての気持ちと向き合って自分の選択をしてください。

同情、打算では誰も幸せにはなれないです。

 

私はこれだけのことをすぐに決めれる相手に出会えて本当に幸せです。あいつに出会えた人生で本当によかったとはっきり言えます。

 

私たちの物語、記録が出会ったことのない誰かの心を癒せますように。

 

 

 

Another story~店主の要望

こんばんは。店主の嫁のまりえです。

 

今日は六七日で弥勒菩薩様に会って慈愛の心を授かり、自分自身の悟りだけでなく、他のものの悟りへの手助けを教わる日だそうです。

お坊さんには、辛い修行が終わって甘いお茶を飲んでいるんだと教わりました。

やっと美味しいものが飲めて嬉しいだろうな。

 

さて、けんじが亡くなる前にこんなものを残していました。

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けんじがつづけてほしいこと してほしいこと

・入籍 ・ウエディング写真

・お互いの家族を大切にする

・喪主になって

・ずっと写真を身につけてて

・旅行の先々で遺骨をまいて

SNSで報告して

・お葬式はたくさんの人にきてほしい

・お墓にはたまに日本酒(美味しいの)かけてね

・俺の友達も大切にしてね

 

何とまあ要望が多い子で笑

因みにこの裏にはTwitterやLINEのID、パスワード などが書かれていたのですが、書かれていたTwitterが裏垢でお兄さんと二人でけんじのパソコン関係のパスワード破りをしまくったのはいい思い出です。笑

詰めが甘い男です。自分が死ぬ前には表に晒したくないものはきちんと確認してから書いとこうと反面教師になりました。

 

また、亡くなる直前にお母さんがこれを読みサプライズウエディングをやってくれたのでした。私も亡くなる前に内容を見てたのでこれできんなー。と悔しく思っていたのでできて本当に嬉しかった。

 

生きてる間にやらなければならないことは全てできたので、あとは私ができる範囲で全てやってやろうと思い行動しました。

亡くなった後も指針を示してもらえると動きやすいものです。

 

水曜日に亡くなったのですが、何と金曜日が友引でお葬式ができないため、1日の猶予があったのです。これはもう、奴が画策してお葬式に呼ぶみんなを楽しませろよっていう言いつけだなって思ったので、とりあえず、LINE、Twitterに亡くなったことを投下しました。

お葬式に来られる方には場所などを送り、あとは伝言ゲーム方式で繋がるところまで繋がれ!と。

そしたら、何と一番最初におうちに来てくださったのが、渡辺いっけいさんでした。

12月に劇を見にいき、初めてお会いし、けんじのことを好いてくださっていて、手料理を食べてもらおうと約束していたのでした。けんじが作ったさわらの西京焼きがあったので食べてもらいました!美味しいといってもらえて嬉しかったね!けんじ!

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けんじのさわらの西京焼きといっけいさん

 

というように、留まることの知らない奴の影響力に家族は驚くばかりで、SNSでもひっきりなしに彼へのメッセージが届くので嬉しくて嬉しくて、あとでお葬式編も書こうと思ってはいるのですが、本当に多くの方が来てくださり、けんじの”お葬式にはたくさんの人が来てほしい”という願いが叶えることができて皆さんにとても感謝しています!

本当に本当にありがとうございました!

 

他の要望についてはまた今度いろいろな折で触れていきたいと思います!

では、また。

 

 

 

 

 

 

引き継ぎ

 

おはようございます!

今日は三十五日忌です。

どうやらけんじは今日閻魔大王様の審判を受け、来世が言い渡されるそうです。個人的には、来世でも出会いたいので一緒のタイミングで次に出てこれるように、人間を1回やっとくか、70年くらい生きる生き物がいいですね。やっぱ人間で出てきて会えんのは癪に障るから、コイかな。うん。

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2000円のコイ

 

けんじが生きてる間の出来事、伝えたかったことは以前に書いたので彼の物語に続きはありません。

ですが、彼に関連して亡くなってからあったこと、亡くなる以前の闘病の内容、日々の暮らし方についてなどなど、エピソードはたくさんあります。

私自身、様々な方のブログを読んで副作用に対し私ができることはないか、病状の先読み、死ぬときにどうありたいか、楽しく過ごすために私が彼にできることを通勤の合間などに読み漁りました。

また、私自身の心の動き、葛藤などは同じような境遇の人間にとってはいいサンプルになると思います。

そんなようなことを彼が始めたこの場を使いお伝えしたいなと思います。

 

ということで、賢治と同じように自己紹介から始めましょうかね。

 

こんにちは。

近田 真里絵(こんだ まりえ)と申します。

1992年9月30日生まれ、てんびん座の女です!笑

 

私がブログを続ける理由は上にぜーんぶ書いてあります。

 

ここ1〜2年間で起こったことをまとめると、

・2018年11月16日、プロポーズされる。

・2018年12月17日、彼が大腸癌ステージ4と診断され、余命2.5〜3年と宣告される。

・2019年6月1日、二人暮らし始める。

・2020年2月3日、入籍。

・2020年2月5日、旦那死去。

 

ドラマかよってやつですね。そう思います笑

基本的に私はけんじと似た性格ですが、全く違うところが一つあります。

なんと、それは!

「あんなに前向きじゃない。。。」

はい。普通の電車でそこらにいるような社会人1から2年目のひよっこです。

 

それでも、こんな状況でも人間覚悟すりゃどーとでもなる。

誰しも腹を括ってしまえばなんとでもなるのです。

こんな気持ちで奴のブログを引き継いでいってます。

 

いろいろ書きましたが、これからは

・私たちならではの癌と生活との寄り添い方

・私個人の心の動き、持ち用

・亡くなった後のエピソード

・彼との思い出

を書こうと思います。

 

コメントの書き方最近知ったので、可能な限りレスポンスします!

皆様、どうぞよろしくお願いいたします!!

 

 

いつかその日が来た時に

こんばんは。

店主けんじの嫁です。

 

けんじが亡くなってひと月が経ちました。

寂しさに潰れそうになる日、思わぬところで彼を見つける日、日々様々な感情が入り乱れています。

それでも、最期に頑張るって約束したので日々を楽しく生きようと努力しています!

 

けんじの遺品整理をしていた時にパソコンから見つけたデータの中でこんなものがあったので、皆さんに読んでもらおうと思います!

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いつかその日が来た時に

私たちは、生と死について日頃からどれくらい意識しているのだろうか。

毎日食べている肉や魚、野菜に対して命を頂いているという自覚をしているだろうか。

 

核家族化や、賃貸暮らしによって祖父母や、ペットが身近にいない家庭では生と死について感じる機会は少ないと私は思う。私は幼い頃、近くの川で魚を獲っては持ち帰り、自宅の水槽で飼う事を繰り返していた。そんな中、昨日まで元気に泳いでいた魚がひっくり返って浮かんで動かなくなったのを見て、死んだら動かなくなることを学んだ。そしてそれが悲しいことということも学んだ。その頃から好き嫌いなく残さず食べることを意識するようになった。

 

もう一つ、私に生と死を根深く感じさせてくれた出来事がある。祖父が亡くなった事だ。

私は所謂おじいちゃんっ子で幼い頃たくさん祖父に遊んでもらっていた。そんな祖父だったが、私が高校生くらいの時にアルコール依存症がひどく、私や兄の貯金からお金を盗んでコンビニでお酒を買っていた。その頃から次第に気持ちが離れ、祖父に対して少し嫌悪するほどだった。そんな中、私は大学受験で第一志望に合格した。気は乗らないものの祖父に報告すると、とても喜んでいた。その三ヶ月後に祖父は亡くなったが、「賢治が病院にお見舞い行った日は、すごい元気になるんだよ。」と後で聞いた時に泣き崩れた。もうちょっと何かしてあげたかったという思い半分、あの日ちゃんと大学合格を報告してよかったという思い半分の涙だった。この出来事から、誰かにしてあげたいことは、その人が生きている間にしか出来ないということをちゃんと理解し、後悔をしない生き方をしようと志した。

 

これまで様々な形で生と死に触れてきた私であったが、突然自分の死について考える日を迎えた。

 

私は、平成三〇年十二月に二五歳という若さで横行結腸ガン・多発性肝転移・腹膜播種と診断された。その年の十一月にお腹の違和感があり、下血したのだが、それ以前はそこまで自覚症状がなかったので最初は耳を疑った。主治医の先生から、「平均余命は二〜三年です。」と言われた時は頭の中、目の前全てが真っ白になった。私事だが、十一月に彼女にプロポーズをした矢先の出来事であった。結婚や子どもについて考える、いわば生物としての最高のタイミングで、生物としての終わりを突き付けられたようなものだ。診断されてから数日は、あと二年で何が出来るだろうか?と自分の命を逆算する日々であった。しかし、毎日多くの人がお見舞いに来てくれる中で、自分はまだこんなところで死んでいい人じゃないと思い、手術を乗り越え、現在は絶対に治すという心を持って抗がん剤治療を受けている。ガンになってから、より一層後悔しない日々を送ろうと思うようになった。

 

私が病気になってからでも気持ちが前向きでいられるのは、死から学んだことが多かったからである。しかし、死にたいとは思わない。それは皆同じだと思う。だが、死は私の様に余命を告げられなくても、自然災害、交通事故など日常に平等に存在し、人はいつ死んでしまうかなんて分からない。文頭で述べた生と死について実感する機会のない人たちにこそ、このことを分かってほしい。大切な人が明日いきなり目の前から消えてしまうかもしれない。だからこそ健康な人も、病気の人も、いつかその日が来た時に後悔しないよう毎日を大切に生きてほしい。伝えたいこと、してあげたいことは思った時に行動してほしい。そうして頑張って生きたことは、必ず誰かの心に残るものだから。

 

近田賢治

 

旅立ち

こんばんは。

店主けんじの嫁です。


コロナウイルスがここまで社会に影響をもたらすとは思ってもみなかったので驚いてばかりです。

多くの方は、そんなのかからないだろう。と考えると思うのですが、免疫力が弱くなっていた治療中の人間が近くにいた者としては、やっぱり怖いです。

そういう意識はやぱ大切だと伝えていきたいなと思います。




2020/02/05水

最期の日


夜中、私は一瞬深い眠りに落ちた。起きた時、ぞっとした。なんで寝たのかわからなかった。

今思うと賢治が休めって寝かせてくれたんだと思う。


目が覚めたら、痙攣。目の動きが怪しかった。こわい。賢治がつれてかれちゃう。けんじとみた劇の"死"

が頭からはなれなかった。けんじのすぐそばに"死"がいた。


お母さんがコーヒーを入れようと、病室で荷物をゴソゴソ、ミルを取り出した。会社の先輩から教えてもらったお気に入りの定期便コーヒーを豆からひいた。こんな状況なのに楽しかった。笑えるこの家族の強さにすごいと思った。


指につけ、けんじの口に運んでやった。そしたら、ぱっと目が開き、"がんばる。まだがんばる。"と

私もがんばるからね。って声をかけたら"わかった?"と


強い人。


コーヒーを教えてくれた先輩に感謝した。けんじのことを助けてくれてありがとうございます。けんじをこの世に戻してくれてありがとう。彼の心を救うのはやっぱりおいしいものなんだなぁと。

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朝日を見てほっとした。ピンク色でけんじの好きな萩焼の色。


おじさんおばさんおじいちゃんおばあちゃんがきた。

けんじの息がひゅーひゅーする。


2020.02.05 AM9:31 永眠。


3回、深く息を吸って眠るように旅立った。


安らかで、痛まなくてよかった。抱きしめながら旅立ってくれてよかった。けんじを1人にせずに逝かせてあげれてよかった。


体から汚いものを全て出しきり、けんじは旅立った。

お腹があんなに張っていたのに、亡くなる直前に全て出て行った。もっとはやくでてってくれればよかったのに。けんじが元気な時になくなればよかったのに。悔しい。






病院からけんじとおうちに帰るまでに、一緒に観に行った桜並木、魚をとりにいった川、買い物に行ったJA、そこら中にけんじがいて、未来にけんじがいなくて、いつも散歩してた道を探してしまう。


家にかえってきて、うれしい。さみしい。すごくさみしい。


それでも、けんじがお布団で寝て、顔の布をぱってとったら、すっっっごく笑っててなんか無性に腹立っちゃった笑


最期まで笑わせてくれるなんて、もう、大好きすぎて。


愛してる。


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旅立つ前の日

こんばんは。

店主けんじの嫁です。


梅の花が咲きはじめ、春を垣間見る季節となりつつありますね。

写真はけんじの梅の写真。これくらいとれるようにならなきゃ。


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2020/02/04火

夜中、ずーっと話していて朝の光を見た時ほっとした。朝を迎えることができた。

おはようっていってくれた。


賢治のお父さん、お母さん、お兄さん、おじさん、おばさん、おばあちゃん、おじいちゃんが結婚式をサプライズで開いてくれた。

けんじはお父さんの挨拶が終わると、よくやった、ありがとうというように手を叩いてよろこんでいた。

結婚指輪は買っていなかったけど、お兄ちゃんがくれたキーホルダーを左手の薬指にはめた。

その場にいた唯一独身のお兄ちゃんにブーケトス。

ナースセンターの申し送りで我らの結婚が報告され、身体のむきを変えたりする時、奥さんの方むいてねー。と全てがとてもとてもあたたかかった。

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けんじに旦那様。って呼んだら、最初で最後の嫁さん。という返事。所帯染みてて笑っちゃった。


昨日、けんじに関わりがある人にLINEした。平日なのにほんとに多くの人が会いにきてくれた。

多くの人に結婚おめでとうと祝福された。

彼の姿をみて、驚く人、泣く人、絶句する人、いつも通り接する人、愛されてるなぁと。

この人の影響力のすごさにただただ幸せになった。この人の妻になれたことを誇りに思った。


だんだんと冷えていく手の温もりを逃すまいと、私の温もりがうつれと、一日中手を足をさすりつづけた。多くの人にさすってもらった。


この日もアイスの実をたべ、ポカリを飲んだ。さっぱりしたいものが飲みたいと言うので私が飲んでいたレモン果汁入りの炭酸をぐちゅぐちゅぺしなさい!といってあげたら、あっ飲んじゃった!って言って飲んだ笑

あれは確信犯やと思う。


この日も痛みは少なそう。たまに医療用麻薬を追加する。声をかければ反応し、食べ飲み、たまに声を発し、応答ができた。血圧は下がったまま。自動の血圧測定機がエラーを出す。上が90をきり下がりつづけた。


帰るみんなに、ありがとう。おやすみ。って声をかけたり、手をふった。


闘いの記録(2)

こんばんは。

店主けんじの嫁です。

 

通夜、葬儀も終わり、身の回りのことも落ち着きながら日常に戻りつつあります。

彼がいないことを日常で感じさみしさに打ちのめされる日もなくはないですが、店主から与えられたことや、やってほしいことを片手間にやりながら、前を向かなければと自分のお尻をたたいております。

 

闘いの続き

 

2020/02/02日

夜中のパニックから覚めたが、二晩続いた痛みによって生きることが辛いと死にたいと冷静に話した。彼の両親が来てくれて、弱音を散々吐いた。前に’私に俺の人生をあげる’’私のために生きる’と言われたことがある。そう宣言したでしょう。痛い、怖い、死にたいといった弱音は許すが、殺してくれは私に対する侮辱だ。と腹が立ったため一発頬をはたいた。それから、彼が死にたいと口にすることは一度もなかった。

夜中に寝れないこともあり、お昼はうつらうつら、医療用麻薬の調整が出来てきたのか、痛いというそぶりも見せなくなってきた。お見舞いに来てくれた人たちと会話を少し楽しんだ。多くを話すことは出来なかったが、来てくれたことがうれしそうだった。

夕方、私の両親が来て結婚の許しを得た。けんじは、本当にありがとうございます。ありがとうございます。と泣いていた。

結婚も決まったので、すぐに彼の両親に婚姻届をとってきてもらった。

アイスの実を食べ、カルピスものめた。

夜、再び真っ黒な液体を吐く。今度は冷静やった。次に吐いたら鼻から送管して胃から直接吸い出すこともできます。と言われていた。彼は、お願いします。と看護師さんに頼んだ。真っ黒な塊やら液体が300mlくらい吸い出された。吐き気も治まり、ほっとしたようだった。

 

2020/02/03月

夜、あれから眠れたようで、穏やかだった。9時くらいの血圧測定で、今まで150前後だった数値が120に一気に下がった。先生に呼ばれ、彼の母とともに話を聞いた。胆管炎による炎症によって多臓器不全を起こしている。あと2.3日でしょう。延命措置を行うかどうか。延命措置は行わず、穏やかに過ごすことに決めた。

婚姻届を急いで出さなくちゃ。すぐに彼の父と兄が動いてくれた。時間外受付で提出した。けんじに出せたよ!って報告すると、両手でグーサインをした。ありがとうと。よくやったと。お兄さんに対して相変わらず上から目線で笑っちゃった。

晴れて夫婦になれました。いろんな人に感謝しなきゃね!とありがたいねぇって話した。

結婚初夜は、たくさんの話をした。

いっぱいいろんなとこいったねえ。あれおいしかったね。アイスの実、きにいっとるじゃん。それに交えて、今までで撮った中で一番好きな写真なに?‘津の花火‘一番好きなお酒は?‘日本酒‘日本酒は何が好き?‘而今‘好きな料理は?‘和食‘、お寺さんどこがいい?亡くなったら実家か、アパートかどっちに帰る?最後に何色の作務衣を着たい?大切な事は全て聞いた。

あんたの人生どうやった?ときいたら‘悔いはないよ。悔いは無いからね。安心して!‘と力強く言った。

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