小療理屋~こんだ~

2018年12月、25歳で大腸がんステージⅣと宣告されました。料理が好きなのでブログ名は小料理屋とかけました(笑)。前向きな闘病記にしたいです!

闘いの記録(2)

こんばんは。

店主けんじの嫁です。

 

通夜、葬儀も終わり、身の回りのことも落ち着きながら日常に戻りつつあります。

彼がいないことを日常で感じさみしさに打ちのめされる日もなくはないですが、店主から与えられたことや、やってほしいことを片手間にやりながら、前を向かなければと自分のお尻をたたいております。

 

闘いの続き

 

2020/02/02日

夜中のパニックから覚めたが、二晩続いた痛みによって生きることが辛いと死にたいと冷静に話した。彼の両親が来てくれて、弱音を散々吐いた。前に’私に俺の人生をあげる’’私のために生きる’と言われたことがある。そう宣言したでしょう。痛い、怖い、死にたいといった弱音は許すが、殺してくれは私に対する侮辱だ。と腹が立ったため一発頬をはたいた。それから、彼が死にたいと口にすることは一度もなかった。

夜中に寝れないこともあり、お昼はうつらうつら、医療用麻薬の調整が出来てきたのか、痛いというそぶりも見せなくなってきた。お見舞いに来てくれた人たちと会話を少し楽しんだ。多くを話すことは出来なかったが、来てくれたことがうれしそうだった。

夕方、私の両親が来て結婚の許しを得た。けんじは、本当にありがとうございます。ありがとうございます。と泣いていた。

結婚も決まったので、すぐに彼の両親に婚姻届をとってきてもらった。

アイスの実を食べ、カルピスものめた。

夜、再び真っ黒な液体を吐く。今度は冷静やった。次に吐いたら鼻から送管して胃から直接吸い出すこともできます。と言われていた。彼は、お願いします。と看護師さんに頼んだ。真っ黒な塊やら液体が300mlくらい吸い出された。吐き気も治まり、ほっとしたようだった。

 

2020/02/03月

夜、あれから眠れたようで、穏やかだった。9時くらいの血圧測定で、今まで150前後だった数値が120に一気に下がった。先生に呼ばれ、彼の母とともに話を聞いた。胆管炎による炎症によって多臓器不全を起こしている。あと2.3日でしょう。延命措置を行うかどうか。延命措置は行わず、穏やかに過ごすことに決めた。

婚姻届を急いで出さなくちゃ。すぐに彼の父と兄が動いてくれた。時間外受付で提出した。けんじに出せたよ!って報告すると、両手でグーサインをした。ありがとうと。よくやったと。お兄さんに対して相変わらず上から目線で笑っちゃった。

晴れて夫婦になれました。いろんな人に感謝しなきゃね!とありがたいねぇって話した。

結婚初夜は、たくさんの話をした。

いっぱいいろんなとこいったねえ。あれおいしかったね。アイスの実、きにいっとるじゃん。それに交えて、今までで撮った中で一番好きな写真なに?‘津の花火‘一番好きなお酒は?‘日本酒‘日本酒は何が好き?‘而今‘好きな料理は?‘和食‘、お寺さんどこがいい?亡くなったら実家か、アパートかどっちに帰る?最後に何色の作務衣を着たい?大切な事は全て聞いた。

あんたの人生どうやった?ときいたら‘悔いはないよ。悔いは無いからね。安心して!‘と力強く言った。

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