記録:手術までの一週間
こんばんは。
店主の嫁まりえです。
転院らへんのことについて、LINE遡って記憶整理。
2018/12/11 総合病院で癌かも知れないと言われる。
2018/12/13 癌センターに転院。
2018/12/14~2018/12/16 検査まるけ、けんじ曰く人間ドックのフルコース
:胃カメラとか、階段昇降的なやつ(手術に耐えれるかどうかって言ってた)とか
2018/12/17 20:00くらいかな? 告知
2018/12/18 手術
これが一週間のスケジュールでした。
転院した当初は、年始に手術やるかなー?とか聞いていたんですが、検査を行い、ほぼ腸閉塞で、たまたま手術の時間が取れたということもあって、即手術となりました。
そんなことあるんだーと思いましたが、告知の前に手術の日程と時間が決まっていました。
なんといっても情報量が多すぎて、、、
告知に至るまでの時間で一人でおると考えちゃうよなーっていうのと、私も顔見てないと不安で不安でしかたなかったので仕事前の数分で電話し、昼休みはLINE、仕事終わりにダッシュして病院、休みの日は病院にお泊まり、とやりたいようにやらせてもらいました。
前にも話した通りですが、けんじと過ごせない時間は癌のこと、手術のこと、抗がん剤のことひたすら調べました。
私は結構アナログな人間なので本屋に行って、医師の説明で出てきた単語、カルテや画像に書いてある文字を盗み見て、あとで調べようと”大腸癌治療ガイドライン”を手に入れてきました。読んだあと、とてもすごく嫌な気持ちと吐き気に襲われましたが、現実を知るにはよかったと思います。ふわふわした内容よりも正しくガツンとくる内容の方が必要。
また、あやつとの過ごし方について、LINE見返して思ったことは、病気のことを聞くのは、電話か、直接あった時に。顔が見れない時はご飯のこと、スポーツのこと、季節のことなどけんじの好きなことを話してました。
絶食のけんじを目の前にして、純豆腐チゲ食べた記憶もあります笑
とっても悔しそうな顔をしてたので匂いだけかがせてあげました笑
また出す、出さないは置いといて婚姻届書こう!といって書きました。
書いて二人でニヤニヤして写真撮りました笑
告知の時、当時お義母さんらは入院してたので、けんじ、お義父さん、私の三人で聞きました。
私自身、ご家族のみでお願いします。とか言われるのかなーと思っていたのですが、特に何も言われることなく、さらっと入れました。病院で我が物顔でけんじの隣にずっといたから行けたのかな?
多分、けんじ、家族は動揺するだろうから、ここにいたくてもいれないお母さんのためにも今の状態、これからのスケジュールなどしっかり聞いとかねばと、メモとペンを握り締めて気合を入れて行った記憶があります。
そこで聞いた内容は、大腸癌、ステージ4、肝臓転移、腹膜播種
これからの手術の内容、開腹手術だが開けてみないことには切れるか切れないかもわからない。抗がん剤の投与のための入院スケジュール。副作用について。CT画像も見せてもらって、肝臓の真ん中にどかん、両翼にもバラバラと癌がいた。これは切除不可だ。抗癌剤で切れるようになることもある。そうなることを最後まで信じていたけど、この時に隣からいなくなってしまう未来がきてしまう事も同時に覚悟した。隣で生きようと必死なのにその考えをする自分を殺してやりたくなった。
左隣を見ると、血の気がひいていってるけんじがいて、よりいっそう感情を殺して今を聞かねば。と思い必死でメモった。
全てを聞いたあと、けんじはぐったりとベットに倒れ込んだ。激しく動揺し、震えていた。
この時、大部屋だったため私が泊まってあげる事もできない。こんな状態のけんじを置いて帰るなんてできない。そう思っていたが、看護師さんが個室を急遽用意してくれたので泊まることができた。本当にありがたかった。
個室を準備するために移動する合間で、けんじから一瞬だけ離れた。崩れ落ちそうになる手足、叫びたくなる気持ちを必死で殺した。看護師さんが声をかけてくれたが、大丈夫です。としか返せなかった。何も大丈夫じゃなかったから。
体をさすり、そばにいた。眠れるように、神様この人は死んではいけない人だから、頼むから助けてと心で何度も祈りながら、そばにいた。けんじの寝息が聞こえてきて安心した。あいつが寝た後に、デイルームで一人、祈り続けた。
朝起きて、おはようと。
起きた後の顔がすっきりしてて、笑ってて、あぁなんて強いんだ。って思った。
やっぱり私の心を救ってくれるのはけんじなんだよなーってなった。
術前に写真とろーよっていって撮った。いい顔してると思う。
手術前には、お母さんが一時退院できて、みんなでけんじを送り出してやれた!
しゃんとして手術室に向かって行った姿はカッコよかったな。
今日はここまでにしよかな。
では、また。