記録:抗がん剤前の退院後の生活
おはようございます。
店主嫁のまりえです。
お盆に向けてお墓建てたり、納骨の日程決めたりとバタバタ動いてたらもう7月半になっててびっくりしました笑
梅雨が明けなくて個人的には6月の気分でいます←
以前手術後から退院までを記録したので、退院から抗がん剤が始まるまでのお家での生活について記しましょう。
案外家での過ごし方ってどうしたらいいの?とか家族は不安に思うのです。
こういう部分のフォローをブログで必死で探してましたので、店主の生活が誰かの救いになればなと思います。
退院が1/2。
それまでに治験の話等があり、即決でやりますといったため、組織片解析が終わるまで抗がん剤待機。
1/17に抗がん剤投与のためのポート作り。
1/18に抗がん剤スタート
というスケジュールでした。
1/3から1/16までのお家での生活について。
基本的にこの期間の熱は37.0-38.0℃、平熱を見た回数なんて数えるほどです。
37.5以降はやっぱり体が疲れるようで、ベットで寝てました。
あと、熱の上がり下がりが不安定で、38.0やと思ったら1時間後に37.2とかざらにありました。
基本的には頭には冷えピタ貼り付けての行動です。
便やガスは出たり出なかったりでお腹はまだ糸が溶けてない状態。恐る恐るといった感じです。
お風呂がとても疲れるようで、年始の休みはずーっとけんじ実家にお邪魔させてもらったのですが、お風呂の時にまりえがいてよかったわーってボソッといってて遠慮しなくてよかったーと思いました。
25歳の男性が家族に服脱がせてもらったり体洗ってもらったりはプライドが許さないそうです笑
さてそれ以外の生活はどうしてたかというと、、
あやつのことですのでじっとしてるわけはありません。
ご飯を作り、シュークリームを作り、精子凍結をし、同窓会に顔をだし、髪の毛を切りにいき、ゲームをし、散歩し、家探しをし、エクレアを作り、、、といったところでしょうか。
忙しいことこの上ない笑
ほんの2週間前まで恐る恐る歩いてた人がこんだけ動くんやなーという驚きですね。
人って強い。
彼としては、免疫として平熱上げてくことは良い感じがする!ってことで紅茶に生姜を入れて飲むことを常にやってて、ジンジャーシロップとか買ったり、熱が高いとさっぱりするものが口にしたいようで、レモネードやらをよく作っていました。
精子凍結は、微熱の中、名古屋へ行き、閉ざされた部屋でまぁ文字通り振り絞ってくれました笑。
その後のLINEがクッッソ機嫌悪かったので本当にしんどかったんだなぁ。悪いことしたなぁと思いましたが、その後に笑い話にできたのでよしとします。
あとは美味しいものをですね。
作るものは豆腐あんかけ丼とか、野菜中心のスープ、量を食べるとお腹の調子が悪くなるため、柔らかいものを少量、数多くを心がけて作っていました。
あ、作ってるものは優しいものでしたが、寿司とかパン、キッシュとかも普通に食ってました。
最初は柔らかいものを!と、気にしてましたが、食べたい欲が勝つのかいけるわっていって食べたいだけ食べて残りを渡されてました。
その期間に少し私の体重が増えたのは内緒。
私たちの中で、腹6分目!を合言葉として食事を楽しんでいました。
あとは、日常生活が楽にこなせる程度に体力を回復する。を目標に動いていました。
調子が良ければ散歩に行き、悪ければ家の中を歩く。
無理することも、急かす必要もないです。
どうしても”治さないと”と不安に支配されてしまう期間であったろうに、こうやって動けるけんじはやっぱすごいなぁと尊敬します。
泣いていなかった訳ではないです。不安を感じていなかったわけでもないです。
それでも、考え、悩み、”今、やるべきことを”と行動していた人が確かにいました。
家族は、ゆーて何もできません。何ができるかわかりません。
予測して準備する、ただひたすら見守る。やりたいことができるように考える。
嘆いても、悲しんでも、見てるだけしかできない。
自分の感情とかも私はけんじに隠してはないです。
一緒に悩んで、怒られ、謝り、後悔する発言したこともあります。今もごめんってなる。
それでも一緒にいるためには私たちには必要なことでした。
家族も本当に辛いです。
砂が手からこぼれ落ちてく、必死でかき集めてるのに。
そんでも何よりも忘れてはいけないのは、
本人が一番辛い。
それをそばにいる家族は、一番理解しなきゃいけないです。
私が助ける。支える。なんておこがましい。
側にいたいから側にいる。
それくらい許してよ?笑
って笑いながら言えたら万々歳かな!