記録:FOLFOXの結果と日々の暮らしと
こんにちは。
店主嫁のまりえです。
最近は部屋にこもってちび怪獣さんのお世話をしているため、シャバの季節感を全く感じることができていません笑
日差しがあったかくなってきたかな?
ただ!窓開けたら、、くしゅん!!
花粉の時期でしたね。そういえば。
確か、花粉真っ只中に山へ写真をいそいそと撮りに行った腹切り後の店主から、
「くしゃみやばい」って話を聞いた時はなぜわざわざ花粉に向かって行ったのか?
という言葉を飲み込んだ気がします。
写真の河津桜はとっても綺麗でした。笑
自分を犠牲にしてまで季節感を楽しむ店主を見習いたいところですが、
花粉だけはどうしても無理!!
ということで、大人しくお家に避難しております。
さて今日は、
やっていた抗がん剤(FOLFOX+オプジーボ)の2〜4回後の結果、
その間の我らのゆるゆる生活、
新たな生活を築く際に悩んだことと、思ったことについて。かな。
抗がん剤の結果、腫瘍マーカーの値が1790→1290→590→290と下がりました。
肝機能の数値も正常値まで回復。結果としては良好。ホッとしました。
毎回、店主が病院に行っている間、私はお仕事で、仕事の昼休憩の時にくるLINEで聞くときは寒気というか、鳥肌というかなんとも言い難い気持ちでした。
まぁその直後にくる写真は高島屋で買ったおしゃんてぃーなお昼ご飯の写真なんですが笑
この日の会話は、晩白柚とバルサミコ酢を使った生姜焼きについてとハーブを練り込んだ塩釜についてがメインでしたね。やってみなきゃ。
この間にきた症状は、手の痺れが少し、あとはたまに微熱。
熱出ると腫瘍熱かなぁと毎回びびってました。病気内容はこんなもん。
そんなに顕著にこんな症状があった!なんてものはなくて、だるい日調子いい日がある。
彼はだるい日でもあれやりたい、これやりたい。
調子いい日はあれやろ、これやろ。
だった。
ほんとにネガティブを表に出さないやつなのです。
すごいなぁ。
その間の生活としては、お散歩、卓球、市場調査。
控えめに購入したと言って、
ヒラマサ、白エビの釜揚げ、メヒカリ、生ワカメ、茎めかぶの写真が送られてきてた。
’’さばけんかもしれんからヒラマサはさくどりしてあるやつ買った!’’
’’あたまいいおれ!!’’
なんていういかにもあたまわるそうな発言かましてきました。
他にも油そばの中華麺作りなどなど。麺とスープの配合表どこにあるだろう。
よく食べよくあそび、よく休み、よく動きましたね。
そんな中、二人暮らしの相談をしはじめました。
彼は、一人暮らしからの実家暮らし。私は実家暮らしをしていました。
年末に結婚について話そうという中で病気が発覚し、あれよあれよという間に治療が始まり、
体が安定してきたということ、彼の実家のサポートが全面協力体制であること、結婚生活を始めたかったということ。好条件が揃った結果です。この間約3ヶ月。猛スピードでした。
私の両親とは、やっぱり揉めた。割とブチ切れてました。まぁわからなくないですが。
全て円満にというわけではないですね。
彼の両親は難しい感情だったと思います。心配、不安、葛藤。。
全てを飲み込んで、助けてくれました。
私個人的な感情としては、二人で生活はしたい、だが不安。
最初、私としては一人暮らしで慣らしてから二人暮らししたいな。ってのが本心でした。
家に一人になった時の保険として。
彼がいなくなってしまった時を考え、一人でいることを慣らしたかった。
この時期の自分の感情の記録はいつ見ても最低だなって思います。
見返したくもなければ思い出したくない。賢治に失礼だ。
だけどやっぱ、パートナーとしての意見として率直な感情を伝えるべきかなと思うので書きました。
半年後の未来を約束することの恐怖、達成できそうな直近の約束しか素直に返事ができなくなった。賢治に言われたことでも、遠い未来のことは約束しないようにしていた自分がいて自己嫌悪の毎日だった。
そんな中で、二人暮らしを初めても大丈夫かなと思えたのは、
やっぱ、彼の両親の協力体制があったからこそ。
彼の体調が安定してきたからこそ。
二人で過ごす時間は絶対楽しいだろうなと思わせてくれる彼の存在。
2年経って思うけど、一緒に過ごせた時間、とっても楽しかったし、幸せでした。
亡くなる時にもしっかり伝えたけど、本当にありがとうってずっと思ってる。
あー会いたいなー。話したいなー。料理食べたいなー。
叶わないってわかってても言葉にしてしまうのよなー。
賢治のあほー。遊び足りんぞー。
みんなと一緒にいろんなとこ連れてくからなー。感謝しろよー笑
終わり!