小療理屋~こんだ~

2018年12月、25歳で大腸がんステージⅣと宣告されました。料理が好きなのでブログ名は小料理屋とかけました(笑)。前向きな闘病記にしたいです!

ははのことば〜一般的なやり方じゃないかも...でも!〜

春の人事異動で、山間部に通勤することになりました。

道中のサクラと花桃が見事で、毎日お花見気分。

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はなもも

 

 

そういえば、店主が亡くなった初めての春、嫁を一緒に誘い出したくて、

この花桃見にきたなぁ。

日頃離れていると、やっぱり、ちょっと心配で。

どうしてるかなって。

 

前回の嫁の言う”家族の遠慮”

確かに、あります。

ましてや、婚姻したとはいえ、すぐに店主は亡くなってしまったから、

彼ら夫婦と過ごしたのは実質たった二日のみ。

それでも一応、嫁姑の関係。但し、私たちを繋ぐ主不存在。

 

だからこそ、あの頃、家族だからこそ出せない感情、ありました。

なぜって?

私より、相手がもっと辛かったり、悲しかったら、私が支えてあげるべきかなって、

過ごしていたから。

でも、時々、こっそり、一人で自爆していました。

車の中と、お風呂。

私が唯一、私だけの思いに浸れる場所。

思い切り泣いて

あとはスッキリ

さ、また、みんなを支えていかなくちゃ

 

でも、実は違って...

 

支えようと頑張る私は、家族に、いっぱい支えてもらってたんですね。

嫁に

「ダメな時はダメでいいよ」

って、よく言われてました。

う〜ん、見透かされてる^_^

無理してても、わかっちゃうんだね。

あら、思っていたのと、立場逆転!

さすが、嫁!

 

また、嫁が次に何を提案してくるのか!とワクワクしてました。

確かに、色々、一般的ではないことくらい、いくら能天気な私でもわかります。

 

先日の嫁の

「賢治のお家が、この常識を若干外した考え方を受け入れてくれる家族でどれだけほっとしたか」

の書き込みに対し、

私から

”賢治が何を求めているか、一所懸命考えてくれて、ありがとう!”

と返します。

 

たぶん、納骨や分骨の方法などや、今の私たちの関係を”理解できん!”という方が

5割くらいかな。

 

でも、私はこう考えています。

 

全て、賢治が何を望んでいて、じゃあ、どんな方法がいいか、みんなが合意した結果だと。

 

彼の想いを想像しながら、まだまだ先に進んでいく私たち^_^

 

どうか、見守ってくださいね。

機会があったら、是非、みんなで一緒に楽しみましょう!

 

私は賢治のおかげで、まりえという、頼もしい友を得ました^_^

 

さ、まだまだ賢治の想いを、みんなで探求していくよ!

Another story~納骨〜

こんにちは。

店主嫁まりえです。

 

最近、店主設計のピザ窯着工計画が進み始めて、また一段と面白くなってきた次第です。

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ピザ窯設計図

あやつは設計は行っていたのですが、作成が手付かずで、あれですね。

サグラダファミリアみたいなもんですかね笑

行きてー。

私がいく予定の場所の一つです。彼もカメラも連れていく。

豆知識ですが、サグラダファミリアは2026年に完成予定のはずが、コロナのせいでチケット収入が激減して、完成が遅延するみたいです。(Wikiさんより)

そんなことはどうでもよくて笑

このお話はまた進んだあたりで書きましょう。

 

さて今日は、納骨について。

あと、お骨の取扱に関して死別した人が周りの人によく言われることとか色々。

 

2020年7月23日納骨でした。

家にいたあやつのお骨をお墓に入れる日。

その前日、前々日はドタバタでした。

お酒とお洗米と仏花、果物、お菓子用意しなきゃ!です。

しかも、え、お墓外だよな?お菓子とか果物とかお洗米ってどこにどやって置くの?と。

賢治が旅行先で買ってきた枡を見つけ、これお米入れるの丁度いいじゃん。などなど笑

 

火葬が終わり、骨壷はお寺のお堂に置かせてもらっていました。

亡くなってから2.3ヶ月は休みのたびにふらーっとお寺に行き、お骨の前にぼーっと座る。

時には泣いたり、話しかけたり、お線香が燃え終わるまでぼけーっとしたり。

窓からお堂に入ってくる光の温かさに寂しさを覚えたりしました。

お家に骨壷を置かれる方のが多いかな?と思いますが、そうじゃなくてよかったなと思っています。その理由は2つ。

 

1つ目は、家で泣きじゃくると塞ぎ込みそうだったから。

家に本体がいたら、当時の精神状態だったら、時間が許す限りその前に座って立てなかっただろうなと思います。外に出て、会いに行って、ある一定時間話して泣いてという場があったことは私にとってプラスでした。強制的にメリハリつけれた感じです。

 

2つ目は、自分の家にいたら、みんなが参れなかっただろうから。

当然の如く、悲しいのは寂しいのは私だけじゃありません。

特に家族ちち、はは、あに。

家族だからこそ出せる感情と、家族だからこそ出せない感情があったと思います。

私の家にいたら、’あやつに会いたくなった時にふらーっと会う’ができなかったでしょう。

自分のタイミングで彼の死と向き合う時間を作るって結構大切なんじゃないかなーって思います。というか、そういう”家族の遠慮”というものを気にしなくてよかったことが私にとってはメリットでした。

 

割とこの”家族の遠慮”で苦しんでる方達、多いと思います。

私のSNS近辺ではやはり死別されている方が多く、故人が亡くなるまで協力してやっていたにもかかわらず、亡くなってから遺骨や位牌、遺影の取り合いのような形になってしまって、わだかまりが残ったり、故人という繋がりで繋がっていたにすぎない。と苦しんでしまう方を結構拝見しました。

自分が愛する人が亡くなった後、自分の最も近くに置いておきたい気持ちはわかります。

けど、それが独り占めしていいってことはないんじゃないでしょうか?

故人が関わってきた人たちがいるから、その故人はそういうひとになったんだし、そういう故人だったからこそあなたは愛してきたんじゃないでしょうか?

と思ってしまうんです。

 

まーそうは言っても、側に置いときたい気持ち’も’強かった私は、お墓に全て入れるよりも近くに欲しいなぁなんて考えた結果、、、

 

分骨すればよくね?

 

と、してしまったんですが笑

 

賢治のお家が、この常識を若干外した考え方を受け入れてくれる家族でどれだけほっとしたか。

「骨、サンプル瓶かなんかに取っておこうと思うんですが、実家にも置いておきます?」

の一文をいうのはちょっとした勇気を出せば言えます笑

サンプル瓶は東急ハンズで200円くらいで買えます。お安い。

結果、私宅、賢治実家、おじさんおばさん家、おばーちゃんおじーちゃん家?の4つくらいに分けた気がします。

おばーちゃんちに行き、はいこれ賢治のほねーって言って渡した時は流石にびっくりされました笑

 

と、納骨までに、みんなとお骨をシェアしたので大元の骨壷の中のお骨たちはお墓へドーン。

納骨される瞬間を写真に収めたりする余裕があったのも、側に少しおるしな!なんて思ってたからです。

お墓の中は、金文字でお経が掘られており、暗闇に輝く星のようにキラキラしてました。

あの中で寝そべってたら、たぶん山の頂上で星観察しているような気持ちになってくれていることでしょう。

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お墓の中の星空

これが、私たちの納骨でした。

 

 

実は、お骨の取り扱いに関しても、よく言われること集があります。

 

そばにずっと置いていたら、天国へ行けないよ。

故人が心配しちゃうよ。

普通、お墓に入れるでしょう?

などなどなどなど。

 

常識を当てはめてこようとする他人からのことば集ですね。

割と傷つき、怒りをぶつけたくなります。

 

「あなたには関係ないでしょう?」

 

そんな時は、このブログ回読んでね!って言ってここのURLはっつけてやってください。

 

常識とか、通例とか、そんなことよりもあなたたち家族がどうしたいか。

 

どんな供養が故人が喜ぶだろう?驚くかな?

なんて、わくわくしながら考える供養もいいんじゃないでしょうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母のことば〜退院してから自宅療養になる時は〜

〜桜、ヒラヒラ舞い降りて落ちて〜

 

コロナ禍ですっかりカラオケにも行けませんね。

いきものがかりの『SAKURA』

まあまあ頑張って練習してましたね。

そんな季節になりました。

 

別れと出会い

なんだか、心がザワザワする時期でもあります。

 

なんかの歌詞のような季節になってます。

 

小療理屋の嫁が、とても詳しく記録した情報を掲載しているのに、母は、記憶を思い起こしながら、ちょっと曖昧な記憶ではありますが、何かお伝えできたらと。

 

退院して、まず実家=我が家で療養することにしました。

受け入れの際、まず考えたのは

①療養しやすい部屋の環境

②食事

③家族のスケジュール管理

です。

 

①療養しやすい部屋の環境について

気をつけたのは保温と換気ができること。

退院前に、空気清浄機をまず購入しました。

あと、ベット周りに日用品をまとめたり、テレビを見やすい位置に変えたり。

退院前の時間があるうちに整えておくと、安心して帰ってきてもらえます。

 

②食事について

術後の病院食を観察して、参考にしようと思いました。

また彼女(後の嫁)が「大腸ガンの術後の食事」の本を買ってきて、

「参考にしてください^_^」と。

やらねば!

母は毎日、メニューと食材、量を記録。

3週間スパンで一般食に戻していこうと。

 

が!それも1週間くらいで、食べたいものを食べやすいようなやり方に変更しちゃったかな。

食は心のお薬だから、あまりしっかり管理すると、なんだか、精神的に元気が出ないようです。そこも大事なケアではないでしょうか。

 

ただ、食中毒が起こりやすい食材は避けたり、加熱を十分にするなど、は気をつけてました。

 

心強かったのは、私一人ではなく、彼女と相談できたこと。食材の買い物などを家族に頼めたこと。

食事の作り手だけではなく、みんなで取り組みましょう^_^

 

③家族のスケジュール管理について

退院し、自宅療養となると、身の回りのこと以外にも、通院の同行や、体調の悪い場合の対応が、必ず生じます。

 

我が家は全員フルタイム勤務。

更に、私の仕事が忙しいシーズン。

通院の同行を誰がいく?

残業になってしまった場合は誰が夕飯を作る?

など、調整しながら、協力しながら。

誰が一人に荷重がかからないように。

ここが大事ですね。

闘病は総力戦!

どのくらいかかるか、わかりません。

患者はもちろん、支える人たちが、誰一人、孤立しないことが、療養生活には大事だと思います。身体だけじゃなく、心の健康のためにも、ちょっとでも、気楽に生きましょ^_^

 

◎今日の総括

私たちは

『チームこんだ』

で闘い抜きました。

 

だからこそ、今、みんな、悲しさや寂しさを抱えながらも、事実だけを受け止めて、自分の足で立っていられると感じています。

記録:FOLFOXの結果と日々の暮らしと

こんにちは。

店主嫁のまりえです。

最近は部屋にこもってちび怪獣さんのお世話をしているため、シャバの季節感を全く感じることができていません笑

日差しがあったかくなってきたかな?

ただ!窓開けたら、、くしゅん!!

花粉の時期でしたね。そういえば。

確か、花粉真っ只中に山へ写真をいそいそと撮りに行った腹切り後の店主から、

「くしゃみやばい」って話を聞いた時はなぜわざわざ花粉に向かって行ったのか?

という言葉を飲み込んだ気がします。

写真の河津桜はとっても綺麗でした。笑

自分を犠牲にしてまで季節感を楽しむ店主を見習いたいところですが、

花粉だけはどうしても無理!!

ということで、大人しくお家に避難しております。

 

さて今日は、

やっていた抗がん剤(FOLFOX+オプジーボ)の2〜4回後の結果、

その間の我らのゆるゆる生活、

新たな生活を築く際に悩んだことと、思ったことについて。かな。

 

抗がん剤の結果、腫瘍マーカーの値が1790→1290→590→290と下がりました。

肝機能の数値も正常値まで回復。結果としては良好。ホッとしました。

毎回、店主が病院に行っている間、私はお仕事で、仕事の昼休憩の時にくるLINEで聞くときは寒気というか、鳥肌というかなんとも言い難い気持ちでした。

まぁその直後にくる写真は高島屋で買ったおしゃんてぃーなお昼ご飯の写真なんですが笑

この日の会話は、晩白柚バルサミコ酢を使った生姜焼きについてとハーブを練り込んだ塩釜についてがメインでしたね。やってみなきゃ。

この間にきた症状は、手の痺れが少し、あとはたまに微熱。

熱出ると腫瘍熱かなぁと毎回びびってました。病気内容はこんなもん。

そんなに顕著にこんな症状があった!なんてものはなくて、だるい日調子いい日がある。

彼はだるい日でもあれやりたい、これやりたい。

調子いい日はあれやろ、これやろ。

だった。

ほんとにネガティブを表に出さないやつなのです。

すごいなぁ。

 

その間の生活としては、お散歩、卓球、市場調査。

控えめに購入したと言って、

ヒラマサ、白エビの釜揚げ、メヒカリ、生ワカメ、茎めかぶの写真が送られてきてた。

’’さばけんかもしれんからヒラマサはさくどりしてあるやつ買った!’’

’’あたまいいおれ!!’’

なんていういかにもあたまわるそうな発言かましてきました。

他にも油そばの中華麺作りなどなど。麺とスープの配合表どこにあるだろう。

よく食べよくあそび、よく休み、よく動きましたね。

 

そんな中、二人暮らしの相談をしはじめました。

彼は、一人暮らしからの実家暮らし。私は実家暮らしをしていました。

年末に結婚について話そうという中で病気が発覚し、あれよあれよという間に治療が始まり、

体が安定してきたということ、彼の実家のサポートが全面協力体制であること、結婚生活を始めたかったということ。好条件が揃った結果です。この間約3ヶ月。猛スピードでした。

私の両親とは、やっぱり揉めた。割とブチ切れてました。まぁわからなくないですが。

全て円満にというわけではないですね。

彼の両親は難しい感情だったと思います。心配、不安、葛藤。。

全てを飲み込んで、助けてくれました。

 

私個人的な感情としては、二人で生活はしたい、だが不安。

最初、私としては一人暮らしで慣らしてから二人暮らししたいな。ってのが本心でした。

家に一人になった時の保険として。

彼がいなくなってしまった時を考え、一人でいることを慣らしたかった。

この時期の自分の感情の記録はいつ見ても最低だなって思います。

見返したくもなければ思い出したくない。賢治に失礼だ。

だけどやっぱ、パートナーとしての意見として率直な感情を伝えるべきかなと思うので書きました。

半年後の未来を約束することの恐怖、達成できそうな直近の約束しか素直に返事ができなくなった。賢治に言われたことでも、遠い未来のことは約束しないようにしていた自分がいて自己嫌悪の毎日だった。

 

そんな中で、二人暮らしを初めても大丈夫かなと思えたのは、

やっぱ、彼の両親の協力体制があったからこそ。

彼の体調が安定してきたからこそ。

二人で過ごす時間は絶対楽しいだろうなと思わせてくれる彼の存在。

 

2年経って思うけど、一緒に過ごせた時間、とっても楽しかったし、幸せでした。

亡くなる時にもしっかり伝えたけど、本当にありがとうってずっと思ってる。

 

あー会いたいなー。話したいなー。料理食べたいなー。

叶わないってわかってても言葉にしてしまうのよなー。

賢治のあほー。遊び足りんぞー。

みんなと一緒にいろんなとこ連れてくからなー。感謝しろよー笑

 

終わり!

 

 

 

 

命日2年目を前にして&ははのことば

こんばんは。

店主の嫁、まりえです。

 

ははの言葉を年始に預かっていたのですが、アップできておらず、ごめんなさい。

ここで一緒に載せさせてもらいます。

ごめんね。

 

ははの言葉1月5日にもらってた言葉です!

 

新たなる歳を迎えました。

今年もよろしくお願いします。

 

令和3年、賢治がいない一年を過ごしました。

 

でも、嬉しいこともいろいろあったんですよ。

 

9月13日賢治の誕生日、お墓に綺麗なアレンジフラワーを供えていただきました。

未だどなたなのかわかりません。

誰かの中に存在してるんだー。ありがとう!

と感謝してます。

 

命日、年末、そして今年のお正月。

同級生の方や、大学のお友達がお参りに来ていただき、いろんなエピソードを聞かせていただきました。

本当にありがたいです。楽しい時間を頂いています。

 

人が好き!

人から想っていただける!

そんな彼から、私達への繋ぎだと感じてます。

 

だから彼は息づいてるんだよね。今も。

存在は消えていません。

 

私達、家族は皆さんに

感謝!

しています。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

私は、今年も癌支援のリレーフォーライフのボランティアがんばります!

 

賢治母

 

 

命日2年目を前にして。

 

命日2年目を前にして、2月に入るとやっぱりどうしても落ち着かない。

なぜかカウントダウンをしてしまう自分がいて、彼がこの世から離れて行ってしまうという感覚が日に日に強まっていくのは、年月が経っても変わらないんだろうなぁなんて感じています。

この1月に私自身は、出産を経験しました。

母となり、また違う視点ができてきています。

 

彼のことを想うとき相方としての視点しかなかったものが、ちょっと変化しているのを感じ、こうなることを賢治は望んでいないんだろうなぁなんて思ったりする。どうしてもその変化に対してはごめん。としか返事はできなくて、でもずっとあなたのことは大切なんだっていう言い訳のような言葉しか言えなかったりします。

 

あなたは人生を楽しんでたから、私も私なりに楽しむ。

ただそれが、賢治の意向には沿わない。それなのにあなたのことが大切。なんて矛盾してて。

大切な人が増えたんだ。ってあなたに胸を張って言えるには、まだ少し後ろめたいんよね。

 

彼が去った日やお葬式の日は空が青くて、とっても嫌悪感を感じた。

最近も天気がとっても良くて、ちょっと恨みがましく空を見てしまう。

彼に送り迎えしてもらった道であり、火葬場に向かった道の途中には菜の花がまた咲いてて、綺麗なのに好きじゃない気持ちでいっぱいになる。

 

明日は命日。

私と一緒に過ごしてくれてありがとう。

人生を生ききることを身を持って伝えてくれてありがとう。

あなたなくして、今の私はいません。

ずっと大好きなんよね。

それだけはわかってよね。

 

まりえ

 

 

ははのことば〜小療理屋誕生にまつわるお話〜

金曜日、山間部に出張した時、雪がひとかけらヒラヒラと。

急に寒くなりましたね。

皆さま、どうぞご自愛くださいませ。

 

今回は、

小療理屋店主 賢治に多大なる影響を与えた人物とのエピソードを。

 

我が家はあまり外食しませんが、

”もし出かけるなら美味しいものを食べたい!”

という方針で、それは子どもが小さい頃から続いています。

”三子の魂百まで”と言いますが、特に小さいうちに、物の正しい味を覚えた方が良いと考えて実行してきました。

 

よく周りから、

「小さいうちなんて、ファーストフード食べさせておけばいいよ。どうせ味なんかわかんないし。全くブルジョアなんだから!」

なんて言われましたが。。。

 

やっぱり良いお料理は高いから、そんなに何回もいけませんよ。

年間経費としたら、毎週ファーストフード食べるのと変わらないと、、、

ちょっと言い訳しときます。

 

賢治くんの舌と食べ物に対する理念に、多大なる影響を与え、正に原点となる人物。

豊橋駅近くにある「銀さだ」の大将 小笠原さん。

 

寿司割烹のお店です。

大将は、とても良い素材を、本当に美味しいお料理に変身させてくださるマジシャン!

また、カウンター越しに大将とお話するのですが、食から人生観まで、幅広く、

ありがたいお話が楽しく、お腹も心も満腹感に満たされるお店です。

 

大将から

○食に対して感謝する

○食は身体にとって大事

○生きていく間は、ずっと修行を続けていくこと

など、色々お話いただき、

これ、小療理屋の理念につながってますよね。

 

お話を聞きながら、大将の鮮やかな手捌きをカウンター越しに見て、食材がどんどん美味しいお料理に変身していくのを眺めながら、彼は眼をキラキラかがやかせ、

「いつか銀さだで働きたい」とも言っていたかな。

 

小学生の頃、大将に頂いた

○魔除けになるスッポンの甲羅

○サインしてもらったお店のパンフレット

は、まだ部屋に飾られています。

 

彼は初ボーナスで、私達家族と叔父叔母、祖母を銀さださんに招待してくれました。

うれしかったなぁ。

 

でも、その3ヶ月後に病との闘いが始まり、世の中がコロナに翻弄され、

あっという間に3年も経っていたんだなぁ。

 

賢治の人生を豊かにしてくれた大将にどうしてもお礼が言いたくて、昨日、本当に久しぶりにお料理をいただきにいきました。

 

賢治の席にお酒と花を添えていただき、色々お話をして、私も元気をいただきました。

 

食べることは生きる原点で、心の健康にも繋がるんだなぁ〜

 

これだね!

君の想い、みんなに伝えないとね、賢治!

 

銀さださん、これからも元気もらいに行きます!

また、大将には散骨まで受けていただき、賢治を九州まで連れて行っていただき、感謝しかありません!

ありがとう。

 

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2018.9 銀さだにて

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大将と旅行に

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師匠とツーショット

 

ははのことば〜小療理屋誕生にまつわるお話〜

金曜日、山間部に出張した時、雪がひとかけらヒラヒラと。

急に寒くなりましたね。

皆さま、どうぞご自愛くださいませ。

 

今回は、

小療理屋店主 賢治に多大なる影響を与えた人物とのエピソードを。

 

我が家はあまり外食しませんが、

”もし出かけるなら美味しいものを食べたい!”

という方針で、それは子どもが小さい頃から続いています。

”三子の魂百まで”と言いますが、特に小さいうちに、物の正しい味を覚えた方が良いと考えて実行してきました。

 

よく周りから、

「小さいうちなんて、ファーストフード食べさせておけばいいよ。どうせ味なんかわかんないし。全くブルジョアなんだから!」

なんて言われましたが。。。

 

やっぱり良いお料理は高いから、そんなに何回もいけませんよ。

年間経費としたら、毎週ファーストフード食べるのと変わらないと、、、

ちょっと言い訳しときます。

 

賢治くんの舌と食べ物に対する理念に、多大なる影響を与え、正に原点となる人物。

豊橋駅近くにある「銀さだ」の大将 小笠原さん。

 

寿司割烹のお店です。

大将は、とても良い素材を、本当に美味しいお料理に変身させてくださるマジシャン!

また、カウンター越しに大将とお話するのですが、食から人生観まで、幅広く、

ありがたいお話が楽しく、お腹も心も満腹感に満たされるお店です。

 

大将から

○食に対して感謝する

○食は身体にとって大事

○生きていく間は、ずっと修行を続けていくこと

など、色々お話いただき、

これ、小療理屋の理念につながってますよね。

 

お話を聞きながら、大将の鮮やかな手捌きをカウンター越しに見て、食材がどんどん美味しいお料理に変身していくのを眺めながら、彼は眼をキラキラかがやかせ、

「いつか銀さだで働きたい」とも言っていたかな。

 

小学生の頃、大将に頂いた

○魔除けになるスッポンの甲羅

○サインしてもらったお店のパンフレット

は、まだ部屋に飾られています。

 

彼は初ボーナスで、私達家族と叔父叔母、祖母を銀さださんに招待してくれました。

うれしかったなぁ。

 

でも、その3ヶ月後に病との闘いが始まり、世の中がコロナに翻弄され、

あっという間に3年も経っていたんだなぁ。

 

賢治の人生を豊かにしてくれた大将にどうしてもお礼が言いたくて、昨日、本当に久しぶりにお料理をいただきにいきました。

 

賢治の席にお酒と花を添えていただき、色々お話をして、私も元気をいただきました。

 

食べることは生きる原点で、心の健康にも繋がるんだなぁ〜

 

これだね!

君の想い、みんなに伝えないとね、賢治!

 

銀さださん、これからも元気もらいに行きます!

また、大将には散骨まで受けていただき、賢治を九州まで連れて行っていただき、感謝しかありません!

ありがとう。

 

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2018.9 銀さだにて

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大将と旅行に

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師匠とツーショット