小療理屋~こんだ~

2018年12月、25歳で大腸がんステージⅣと宣告されました。料理が好きなのでブログ名は小料理屋とかけました(笑)。前向きな闘病記にしたいです!

いつかその日が来た時に

こんばんは。

店主けんじの嫁です。

 

けんじが亡くなってひと月が経ちました。

寂しさに潰れそうになる日、思わぬところで彼を見つける日、日々様々な感情が入り乱れています。

それでも、最期に頑張るって約束したので日々を楽しく生きようと努力しています!

 

けんじの遺品整理をしていた時にパソコンから見つけたデータの中でこんなものがあったので、皆さんに読んでもらおうと思います!

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いつかその日が来た時に

私たちは、生と死について日頃からどれくらい意識しているのだろうか。

毎日食べている肉や魚、野菜に対して命を頂いているという自覚をしているだろうか。

 

核家族化や、賃貸暮らしによって祖父母や、ペットが身近にいない家庭では生と死について感じる機会は少ないと私は思う。私は幼い頃、近くの川で魚を獲っては持ち帰り、自宅の水槽で飼う事を繰り返していた。そんな中、昨日まで元気に泳いでいた魚がひっくり返って浮かんで動かなくなったのを見て、死んだら動かなくなることを学んだ。そしてそれが悲しいことということも学んだ。その頃から好き嫌いなく残さず食べることを意識するようになった。

 

もう一つ、私に生と死を根深く感じさせてくれた出来事がある。祖父が亡くなった事だ。

私は所謂おじいちゃんっ子で幼い頃たくさん祖父に遊んでもらっていた。そんな祖父だったが、私が高校生くらいの時にアルコール依存症がひどく、私や兄の貯金からお金を盗んでコンビニでお酒を買っていた。その頃から次第に気持ちが離れ、祖父に対して少し嫌悪するほどだった。そんな中、私は大学受験で第一志望に合格した。気は乗らないものの祖父に報告すると、とても喜んでいた。その三ヶ月後に祖父は亡くなったが、「賢治が病院にお見舞い行った日は、すごい元気になるんだよ。」と後で聞いた時に泣き崩れた。もうちょっと何かしてあげたかったという思い半分、あの日ちゃんと大学合格を報告してよかったという思い半分の涙だった。この出来事から、誰かにしてあげたいことは、その人が生きている間にしか出来ないということをちゃんと理解し、後悔をしない生き方をしようと志した。

 

これまで様々な形で生と死に触れてきた私であったが、突然自分の死について考える日を迎えた。

 

私は、平成三〇年十二月に二五歳という若さで横行結腸ガン・多発性肝転移・腹膜播種と診断された。その年の十一月にお腹の違和感があり、下血したのだが、それ以前はそこまで自覚症状がなかったので最初は耳を疑った。主治医の先生から、「平均余命は二〜三年です。」と言われた時は頭の中、目の前全てが真っ白になった。私事だが、十一月に彼女にプロポーズをした矢先の出来事であった。結婚や子どもについて考える、いわば生物としての最高のタイミングで、生物としての終わりを突き付けられたようなものだ。診断されてから数日は、あと二年で何が出来るだろうか?と自分の命を逆算する日々であった。しかし、毎日多くの人がお見舞いに来てくれる中で、自分はまだこんなところで死んでいい人じゃないと思い、手術を乗り越え、現在は絶対に治すという心を持って抗がん剤治療を受けている。ガンになってから、より一層後悔しない日々を送ろうと思うようになった。

 

私が病気になってからでも気持ちが前向きでいられるのは、死から学んだことが多かったからである。しかし、死にたいとは思わない。それは皆同じだと思う。だが、死は私の様に余命を告げられなくても、自然災害、交通事故など日常に平等に存在し、人はいつ死んでしまうかなんて分からない。文頭で述べた生と死について実感する機会のない人たちにこそ、このことを分かってほしい。大切な人が明日いきなり目の前から消えてしまうかもしれない。だからこそ健康な人も、病気の人も、いつかその日が来た時に後悔しないよう毎日を大切に生きてほしい。伝えたいこと、してあげたいことは思った時に行動してほしい。そうして頑張って生きたことは、必ず誰かの心に残るものだから。

 

近田賢治